オレンジ色の空をいつか好きになったりするのだろうか20210804
昔から夕焼け空が嫌いだった。
綺麗だとは思うけど、今日という日の期限が切れる合図みたいで、懐かしさにも似た侘しさが押し寄せてくるから。
夜になってしまえば、1日が終わることなんて、さっきまでの感情が嘘だったみたいにどうでもよくなる。
むしろ夜はハイになったりもするしね。
そもそもほとんどの場合、今日なんて早く終わってくれと願う日の方が多い。
なのに何で夕方になると、一日の終わりを警告されると、あんなにも侘しい感情になるのだろうか。
恥ずかしげもなくそんなことを一人で考えたりする。
僕の中の一つの結論は、突きつけられるから。
何もしていない今日が終わる現実を。
一方通行で進む時計の針を。
有限である僕らの人生を。
だからきっと今日の僕に、とてつもなく申し訳なくなって、後ろめたくなるんだと思う。
似たような感覚を覚える瞬間が別にもある。
日が落ちた雨の日の夜に、衣服の下まで届く雨の雫を疎ましく思いながら歩く道中で、ふとマンションの不揃いな明かりが目に飛び込んで来る。
夕日を見る時と同じような感覚で、なんだか泣き出しそうになってしまう。
きっとあの灯の数だけ家族の幸せな形があって、またその逆もあって、
仕事でヘトヘトになって帰宅後、一休みしてるお父さんもいれば、
その旦那さんに愛情いっぱいの手料理を振る舞っている奥さんもいるだろうし、
共働きでお互いクタクタになったまま、その日あったことを、スーパーの惣菜と、缶チューハイ片手にゲラゲラ笑い合いながら過ごしてるカップルもいるだろう。
大切な友達と喧嘩してしまった子もいれば、うまく友達の輪に馴染めなくて悩んでいる子もいるだろう。
辛いのは自分だけじゃないって事実が、自分が抱えるネガティヴな感情に拍車をかける。
幸せなのが自分だけじゃないって事実が、見知らぬ誰かを想う気持ちに拍車をかける。
そんなことを想うだけで、泣き出してしそうになってしまう。
話がそれたけど、夕日の話に戻るね。
ネガティヴな感情の根源には、いつもうまくいっていない現状があって、理想とかけ離れた自分がいる。
夕日に抱く感情は、そのまま自分に対する鏡として機能しているのかもしれない。
特に強く夕日を見たくないと思う瞬間がある。
旅行の日だ。
現実から最も確実に逃避できる手段。
宿に泊まりなんてした日の帰りに見る夕日のネガティヴ効果は常軌を逸している。
ただ、いつも帰り道、夕日を見ながら思うことがある。
日々の生活に、仕事に、自分に、満足していれば、納得していれば、明日を楽しみに思えていれば、いつか夕日を、心の底から綺麗と思えたりするのだろうか?
好きになったりするのだろうか?
その答えが知りたくて、まだ何も諦める気にはなれない。
夕日を嫌いなままで、人生を終わらせてしまいたくないなと強く思う。
それでもまた日常に戻って、怠惰な日々を続けてしまったりする。
何もしなかった怠惰な1日と、それを気にもしなくなったダメな自分を棚に上げてラジオをつける。
憧れのミュージシャンや芸人さんの苦労話をきいて共感したり、必死に少ない自分との共通点を探し見つけては、何者かになったフリをする。
頑張れない自分と諦められない自分。
醜く生きていくしかないんだと思う。
けどそれも自分。
そんな自分をいつか愛してあげたくて、たまに頑張れたりするんだと思う。
たまに頑張れた時は褒めてあげて。
たまにでいいから、頑張り続けることだけはやめたくないんだ。