思い出は、いつの時代も死ぬほど美化されるよねって話20210728
更新日:2021年8月5日
昔の記憶というものは、何故こんなに美化されてしまうんだろうか。
ふとそんな事を考える。
自分もそんな事をしみじみ考える様な年齢になってきているのかなと思ったけど、年齢の問題ではない気がする。
思い出せば、高校に進学してすぐの事。
学校、クラスに全く馴染めず、高校一年生の初めの頃は、お弁当を自分の席に座ったまま、ただただ目の前だけを見つめて食事をしている時期があった。
学校終わり、別々の高校に進学した中学時代の同級生と集まっては、中学時代の話をして盛り上がっていた。
そして決まって「中学時代に戻りたい」と誰かが口にする。
時が過ぎて、高校を卒業し、それぞれ進学や就職と、自分の決めた進路に進む頃。
今度は高校時代の同級生と集まり、高校時代の思い出話に花を咲かせる。
そしてやはりお決まりのセリフ「高校時代に戻りたい」
きっと年齢や時代なんて関係なく、思い出は美化されるようにできているんだと思う。
確かどっかで化学的に証明されてるって記事を見たことがある気がする。
忘れたけど。
今もまさに絶賛思い出を美化しまくって生きている訳だけども、美化されてしまう事を踏まえて、冷静に過去のことを振り返ってみると、意外と日常に不満だらけだったことも思い出す。
一年間ほぼ毎日一緒に過ごすクラスの中で、ハブられないよう、嫌われないよう生活するのなんて中々のプレッシャーだったし、宿題やテスト勉強のことを考えるだけで陰鬱な気持ちになれた。学校終わりのバイトなんて、疲労と眠気で地獄そのものだったし、いじられキャラを通り越して、これはいじめなんじゃないか?と思ってしまうような時期もあった。
うん。やっぱりそんな良くなかったかも。
でもそう思うと、思い出美化現象は本当に厄介すぎるシステムだと思う。
いじられを通り越していじめなんじゃないかと思っていた時期まで美化されてしまう訳だからね。恐ろしすぎる。
だけど、この現象から学べることってたくさんあると思う。
どんな時期だって、とてつもなく悲しいことや辛いこと、それと比べると少ないかもしれないけれど、楽しいことや嬉しいことも日々の中にあるんだと思う。
ネガティブな感情は、味が濃いけど消化は早め。
「今」という時間を生きていると、どうしても濃い味の「辛い」や「悲しい」に意識が持っていかれてしまう。
ポジティブな感情は、薄味だけど腹持ち良し。
「辛い」や「悲しい」の味が濃過ぎて、今この瞬間に「嬉しい」や「楽しい」に気付くのは中々難しいけれど、「あの頃」を思い返すと、いつも残っているのはポジティブな感情だったりする。
きっと僕は今この瞬間にも、将来思い返した時に、「あの頃に戻りたい」と思うようなポジティブな要素で溢れているんだと思う。
それはもう将来の自分には手がつけられないほどに。
使い古された言葉で、「今日の自分は、これからの人生で最も若い自分だ」なんて言葉があったりするけど、全くもってその通りだなと思う。
過去に戻ることはできないけれど、将来のことを想像して、今日より歳を重ねた自分を想像して、そして今の自分を俯瞰することはできる。
きっと今の自分は、自分で思っている何倍も、「嬉しい」や「楽しい」に満ち溢れているんだろうな。
「今」を大切に、丁寧に、何よりも楽しんで。
それが、理想の未来に繋がっていくのであれば、それはもうこれ以上に無く、幸せな人生だと言えると思う。
「今」にちゃんと目を向けて、たまに「あの頃」を思い出してセンチメンタルになりながら、大好きな音楽を続けていけたらいいなー。