東京五輪始まったってよ20210725
更新日:2021年8月5日
東京五輪が始まったってよ。
交通規制があったり、開会式があったり、高速道路の料金が上がったりしてるらしい。
五輪が始まった実感は今の所無い。
開会式見たかったなーと思いつつも、その時間は会社で仕事をしていた。
かなり長いことやっていたみたいだけど、途中から見る気はしなくて結局少しも見ることはなかった。
なんだか虚しさとやるせなさが同時に押し寄せてくる。
「偉い人たち、もう少しなんとかできなかったもんか」
「コロナよ、なんで東京五輪に合わせてやってきたんだ」
愚痴を吐き出し始めたらキリがない。
一生に一度あるかないかの大チャンス。母国でのオリンピック開催。
自分はチケットも持っていなければ、見に行く予定もなかったが、それでもやっぱり落ち込んでしまう。
同じようにこの国で生活する人々が、何千何万と楽しみにしていたこの一大イベントを、大会関係者以外誰も目にすることができない事実がやっぱり悲しい。
だけれど、今自分が感じているやるせなさの正体が、国の偉い人たちやオリンピックに向けたものだけじゃ無いことは重々理解している。
数年前、東京五輪が東京で開催されると決まった年、僕は夢や希望が身体中にパンパンに詰まっていた。今にも溢れ出して弾け飛ぶくらい。
調べてみたら、2013年の9月に決まったらしい。え?こんな前だったけ?怖。
東京でオリンピックが開かれるらしいと知った日、あまりに遠い未来な気がして、実感が湧かなかったことをやんわり覚えてる。
当時僕は16歳で、高校2年生。
その頃組んでたバンドでドラムを担当していた。
バンドの会議では度々将来のことを話し合っていた。
その頃話していた内容は今でも鮮明に覚えてる。
バンドの会議で、「遅くとも23歳までには音楽で飯食えてるようになってようぜ!」
と度々口に出していたことも鮮明に覚えている。
その頃目安にしていた23という数字を僕は既に通り越し、現在の数字は24。
もう時期25にカウントアップされる。
尚、現在音楽で飯など食べれている訳が無い。
「あの頃は良かった」とか、「今の若い子」みたいな言葉を死んでも使いたくないんだけど、最近無意識に口から出そうになって、無理矢理言葉を飲み込む時がある。
そういう言葉を使う大人になりたくなかったから。
だけど最近、この言葉を口にする人たちの気持ちが少しわかるようになってきた。
東京五輪が決まった当時の僕は、25歳を目前に、全く芽が出ない音楽をまだ続けている想像なんてしていなかったし、売れてない未来のことなんて考えてもいなかった。
23歳で日本のバンドシーンを席巻して、東京五輪の時期には一番脂が乗っていて、渋谷原宿で自分たちの曲がガンガン鳴ってて、五輪で来た海外の人たちの目にも止まって、五輪後は海外での活動にも力を入れよう。もしかしたら開会式で僕らの曲が使われるかもしれない。そんなことを本気で考えてた。
無知と未知って滑稽だけど、最強だと思う。
遠い未来だと思っていた東京五輪は一昨日開会式があって、その一大イベントの中に僕の存在は微塵もなかった。当然。それが当たり前。
オリンピックに出場する選手には、自分より若い方も当然いて、その人たちがメダルを取ることもあるかもしれない。
どんな気持ちなんだろう。その瞬間、何を思うんだろう。
そこに行き着くまでに、どれほどの努力を積み重ねたんだろう。
やっぱり知りたいと思ってしまう。
スポーツと音楽。ジャンルは違えど、やっぱり自分が目指していたステージで、自分の最大限のパフォーマンスをする。
これ以上になく猛烈に憧れてしまう。
自分の状況、世界の情勢、時の流れの速さ。
何一つ自分の予想通りでは無いけれど、あの頃の馬鹿で青臭い将来の夢を、夢のままで終わらせたくないなと、改めて思った。
状況も年齢も関係ない。
なりたい自分にいつかなるために、今やるべきことをやるだけ。
五輪の選手や今売れてるミュージシャンたちもきっと、そうやってきたんだろうな。
明日からの五輪のニュース、敬意を持って見させてもらおう。
がんばれ日本。がんばれ世界。がんばれ自分。